最近、気になる歌詞があった。

最近、気になる歌詞があった。

KREVA 「かも」

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このままこうしていられるなら 他には何もいらない
そんな風に思えてしまったなら
終わりが近いのかも

あの時本気で挑んでたら 今こんなとこに居ない
そんな話あなたのその口から
聞きたくないのかも

他人だろうが 自分だろうが
信じるには勇気が必要だ
誰も 背中 押してはくれない
そう簡単に鍵は はずれない
隠れたい 逃げ出したい
忘れたい 消えちゃいたいけど
そんな風に言う気は無い
だってやっぱり勇気が無いから

結局は流れに任せてるけど
心では斜めに構えてる それで
「頑張ってるヤツはださい」って思ってる
「自分には全然関係がない」って
「ホント もうこれ以上いらない
適当に過ごせりゃ 何も変わらなくていいよ
でも ホントの俺はこんなもんじゃない」って
あぁ 今がホントの自分なのにね

このままこうしていられるなら 他には何もいらない
そんな風に思えてしまったなら
終わりが近いのかも

あの時本気で挑んでたら 今こんなとこに居ない
そんな話あなたのその口から
聞きたくないのかも

俺はマグロじゃないが
マグロみたいに
止まってしまうと死んじゃうような男
だから同じ事求めるのは違うし
そのつもりもない だけど
全員が全員じゃなくていい 一人でも
今を受け入れて 明日に飛び出ろ
君は誰かの指示を待ってるけど
未来は君を待ってるよ

このままこうしていられるなら 他には何もいらない
そんな風に思えてしまったなら
終わりが近いのかも

あの時本気で挑んでたら 今こんなとこに居ない
そんな話あなたのその口から
聞きたくないのかも

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ポジティブさと、良い意味での焦燥感、
それと、多少の強引さ。やる気。テンション。

ゆるぎない自信。いや、それ相応の努力もあるんだろうけど。

男は胸張ってないと、やっぱダメでしょ、ってことのような。

後悔に縛られたり、現実をみないのは、ダメでしょ、ってことのような。



なかなか共感できる歌詞だなぁと。



とまっていると死んじゃう、って感じとか。わかる。


常に変化し続けたいし、常になにか動いていたい。
そのすべてに責任をとりながら、自信をもって生きていく、ような。

なんか、そういう感じ。








KREVAって、数年前まで、全然好きじゃなかった。


でも、なんか、最近、なかなかいいんじゃないか、って思うようになってきた。

なんだろう、この変化。

KREVAも34になって、自分も30になったし、
ジェネレーション的に大くくりに同じようなステージに入ってきたのかな。


10代や20代じゃ、同世代の男が同世代の男を認める、とか、憧れる、とかって、なんか気持ちわりぃしね。




ちょっと大人になって、そんなのもありになってきたような気がする。


同級生とか近しい友人に対しても、そう。自分の場合は。





KREVA

ビッグマウスで、前向きで、我が道を行くような感じ。

有言実行、というか、なんというか。

ラッパーとしては、テクニックは皆が認めるところだし、高学歴でイケメンだし(笑)

男としては、すごい鼻につくけど、でも認めざるを得ない何かを持ってる、みたいな。





そんで、結局なんだかわかってきたことは、


「自分と同じタイプの人間は、たいてい最初は嫌いになる」


ってことが分かってきた。


男限定。


いや、KREVAと自分が似てるっていうわけじゃない。


なんていうか、「こいつやるなぁ」って思う人間を、素直に認めて、男として好きになる場合と、

もう一段階踏む相手、

最終的には、そのすごさを認める形で好きになるんだけど、最初はどこか嫌いになる場合があって、



「こいつやるなぁ」のベクトルが、自分の似たような感じ(いや、だからといって、私がヤリ手、なわけ、でもないんだけど)

この手の人間は最初、あんまり好きじゃないっていう。


自分がポジティブなことばっかり言って、友人に「がんばれよ、一緒にやろうよ」みたいなこと言ってるわりに、

それを声高に言っているヤツをみると、ちょっと引いちゃう。みたいな。


たぶん、わがまま。自意識過剰。






ボス猿は、他の雄猿を蹴散らして、自分が群れのトップにのし上がるために、努力するんだと思う。



そのなかで、自分と同じタイプに対しては、たぶん格別の敵対心をもつ。でしょ。


自分と同じタイプであれば、手のウチは何となく似てくるし、
そのあざといところ、やりくち、強み、弱み、なんとなくわかってくる。



だからこそ、攻め込めないし、下手すりゃ、相打ち、確実な勝利が見えない。


違うタイプであれば、その長所、短所をなんとなく把握して、長所を出さないように、短所を責めるように、する。とか。



いや、友達関係とか、そういう類のコミュニティでこんなことしてたら超嫌な奴に違いないけど、


なんていうか、男ってのは元来、こういう意識は絶対にどこかでもっているんだと思ってる。



他の男に負けたくない、と。


相手を攻めないまでも、男として、自分の武器を伸ばしたり、短所を補う努力をしたり、ね。



大切なものを守るために、男は何か自分以外のものを守らなきゃいけないときがあるんだから、

こういう闘争本能ってのは、絶対にあってしかるべきなんだと思う。


そんなことを考えると、KREVAを最初は嫌いになる自分の性格が分かってくる。。


そういう感じ。

小難しいことを考えたり、言ったりするのは、好きなんだけど、嫌いなんだ。

小難しいことを考えたり、言ったりするのは、好きなんだけど、嫌いなんだ。


物事がどうなっている、道理がどうだ、なんで、こうだ、

そんなことを考えるのも、好きなんだ。


けど、嫌いなんだ。


でも、


そんなことを通り越して、現実的に、必要、とでもいうのかな、

考えないとしゃぁない、ということ。

考えることがごくごく自然であること。


そういうことは考える。考えざるをえない。

考えるのは、好きだよ。けど、本当は考えなくてもいいなら、

考えないほうが好きだ。


好きな人と旅行ばっか、しながら、

好きな映画や好きな本を読んで、好きなスポーツや好きなゲームでもやってるほうがいいや。



でも、それも難しい。だから、かんがえるんだ。


いや、表現が分かりづらいけど、そういう感じなんだ。






私はモノを売る商売をしている。



モノを仕入れて、販売して、その儲けで、自分の生活を成り立たせている以上、

まず第一に考えることは、

「どうやったら、売れるか」

ということ。


それに尽きる。


たまに、

「自分が何を売りたいのか」

ということで、商売をしている人もいるのかな。




このエリアで物事を考えようとすると、ちょっと難しくなるので、ここでは一旦やめておく。


この考え方を全否定する気持ちもないし、


何の思い入れもない商材で、商売をしてもしょうがないこともわかっている。


けど、

基本的には、商売は「お客様が何を欲しがっているのか」で考えるべきだと思うし、


売れなければ意味が無い。



商売は芸術作品の発表の場ではないし、


そもそも、著名な芸術家の絵画なんかですら、


オーディエンスを意識してないわけがないわけで・・・商売と一緒じゃん、とか。


なんてことを考えているうちに、


村上隆さんの活動とか、芸術と商売ってどうなんだ、とか、


アートと娯楽ってなんだ、みたいなことを考え始めちゃうんだけど、


それも、これも、どうでもいいことなんだ、ほんとは。


アートとか娯楽とか、そういうのが好きだから、

きっと、そういうことを考えるのが好きなんだ。


きっと。




ま、でも、まずは商売のことをかんがえる。




どうやったら、売れるか、

を考える。



なんで売れないのか、

なんでこれは売れてるのか、



誰が、買うのか、

誰が買いたいのか、




何を欲しがっているのか、

何をもう欲しがっていないのか、



何が流行しているのか、

何がもう流行していないのか、



何がおしゃれなのか、

何がもうダサいのか、


いくつもいくつもあるし、


その一つ一つは、お互いに概念がかぶっているものもある。


でも、そんなことを考えるのは、必要だし、自然なのだ。


だから、考える。


誰が、ギターを買うの?


誰が、どんなブランドのバッグを買うの?


今、ティファニーのシルバーのリングを買うのは誰?


今、マークジェイコブスは本当に人気あるの?


今、コーチは、、どうなの?


セカンドラインを買うって、どういう心理なの?


どのくらいの値段が、妥当だと思う価格なの?


どこで買ってるの?


何をみて、買うの?


50代以上の女性は、今、何が欲しいの?


10代の男の子は、彼女に何をプレゼントするの?


超バラバラだけど、まぁ、マーケティング、かな。


4Pとか、そういうことかな。


マーケティングって、言葉が堅いし、広いし、誤解を受けやすいから、

それこそ、小難しいような気がしちゃうから、敬遠されがちなんだけど、まぁ、好きなんだ。


消費者動向?


小難しい言葉は、好きなんだけど、嫌いなんだ。




そんな取り留めないことを考えていると、

ふと、人の「価値観」っていう、迷宮に迷い込むんだ。


人の価値観って、何だ?みたいな。



でも、結局、そんなものに結論なんか出ないんだ。

まずもって、他人が、人の価値観を決めつけることなんかできないし。

唯一わかっているのは、自分の価値観だけど、

それも結構怪しいもんだ。




よく、結婚するなら、価値観の合う人がいい、っていうけど、


価値観を、「合わせる」ってこともありそうだ。


絶対に譲れない価値観、とかいうけど、譲れない、ってどういうことなんだ、とか。




世の中の価値観が変わってきているから、


これは、売れる、売れない、


とかよくいう。



高級ブランドから、ファストファッションへ、とかいうし、


不況下におけるどーのこーのとかいう。


デフレだとどうとか、給料が上がらないから、どうとか。


バブルのときは、どうとか、こうとか。






だから、ふと、価値観、というものを考えてみたりもするんだ。



でも、なかなか難しいもんなんだ。


そもそも、怪しいもんなんだ。


景気、という言葉が怪しいのと一緒だ。



買う人はいるし、売る人もいる。



それは、日本人かもしれないし、

もしかしたら、中国人かもしれない。



とにかく、難しいのは間違いないんだ。



結局、何をやれるか、といえば、

こと、商売、に関して言えば、


モノが売れるようになるには、

売れるものを取り揃えるようにするには、

どうすればいいのか、うんうん唸りながら、かんがえる、しかない。

そういうことが、現実的で、自然なことなんだ、というところに戻る。そして繰り返す。




その周辺にある、無数のものごとに、対して

なんで、どうなの?ってことを考え始めるには、


もう一度、学生に戻らないといけないのかなぁ、なんて思うんだ。


ちょっとやりたいけど、それは、やっぱり無理だから、その思考を一旦やめて、

結局、唯一、商売のことを考えるしか、ないんだ。



嫌いだけど、ホントはそれも結構好きなんだ。

ボクはキワまで見たくなる性分なんです。

ボクはキワまで見たくなる性分なんです。


キワめたい、というと聞こえがいいが、
キワもの、というと途端にアイロニカルになる。


特に、カルチャーとの関わりについて、
ギリギリまで突き詰めて知りたい、という欲求が強い。


キワまで行って、ギリギリのところで、キック(覚醒)されて戻ってくる。
自らに、固定のカルチャーが、インセプション(洗脳)されないギリギリのところ、
ギリギリのキワまで見にいって、そこから帰ってくる。そこに快感を覚える。


サイヤ人みたいなもの。それこそ、極限からの帰還が糧となる。


生きてかえってきて、初めて戦場カメラマン。昨日、渡部陽一が言ってた。


そういうこと。


アニメ・マンガといった、オタクカルチャーにも一線を越えて染まらないし、
クラブ・ドラッグといった、ストリートカルチャーにも一線を越えて染まらない。


もちろん、ハイカルチャー、芸術・美術・文学・基礎科学、等々、
通常、「教養」というカテゴリーに入るものは、別。これはベーシックなもの。
これを勉強しないで、右に左に右往左往しているヤツは、もってのほか。それは愚の骨頂。


ベースの教養は日々研鑽を積み、その全てを受け入れる姿勢をとった上での、
いわば、娯楽・大衆文化、との関わりかた。


オタクに染まりきって、パソコンの前で引きこもって、現実世界での営みができなくても、
毎晩毎晩クラブに通って、部屋で気づいたら、傍らの女性が死んじゃってて、警察沙汰になっても、全然ダメ。

現実社会との共生はきっちりこなした上で、


経験値と体力と、ある一定の「軸」を心の中に持った上で、キワのキワを垣間見る。

そういう、ピーキーなところから、いわば、心のメーターが、マイナスに振りきったり、プラスに振りきったり、
ハイになったりローになったり、極端に振り切ったところから、


穏やかなリアルな、現実とのバランスを保ったところ、(現実=ゼロ) に戻るときに、
少し相対するベクトルに揺り戻しをうけながら、
それでいて、何事もなかったかのように、振り子の針が中心に戻る。

そして、なにか、以前よりも少し価値観が広くなったような、気に、なる。


映画とか小説とか読んだ後に、ちょっと、ぽわーっとするような感じ。それのもうちょっと長期的なものかな。


この感じがボクの快感原則、カルチャーと自分の戯れ方なのだと。



あ、一つ例外。

演劇、、、に関しては、、、
もし、そのメーターが振り切ったままで、ずーーっと演劇の世界に居ようと思えば、
もっともっともっと無心で努力して、運も最大限味方につければ、、、


その、振り切った、ある意味極まった世界、で生きることも、万に一つ可能だったのかなぁ、と少しの憧れがあるかな。

お芝居の世界には多少足を大股ぎみに突っ込んで、いたので、その残像が、今でも頭の片隅に残ってるというか。



ま、それもこれも、少なくとも、結婚して子供が出来るまで、の話。


自分の守りたい家族が出来たところから、そのメーターと価値観は、
肯定的に崩壊するんだけれども。。


そんなことを有楽町線に揺られながら、ふと、思う。

鳩山イニシアチブ

イニシアチブ。

こういうカタカナ語とか、経済とか地理とかの用語って、結構好き。

小学校の5,6年生の頃とか、
中3とか、比較的頑張って勉強したおかげで、
今でも覚えているカタカナ語、特に、地理とか政経の領域の言葉が、
ふと頭に浮かぶことがある。

シビリアンコントロール
グレートプレーンズ
アスワンハイダム
シラス台地
メサビ鉄山
冬小麦 春小麦
ツンドラ気候
メルカトル図法
カルテル トラスト コンツェルン
コングロマリット
清教徒革命
ボストン茶会事件
北大西洋条約機構
OPEC
NAFTA
ベーリング海
西岸海洋性気候
偏西風
恒久の平和

エクスカリバー
イオナズン
オリハルコン
ミスリルソード
ザメハ
ヒャダイン
ルプガナ
ムーンペタ
アリアハン

アルシンド
ファンデルファールト
ダ・シルバ
コインブラ

スリジャヤワルダナプラコッテ
コロンボ

ま、そゆこと。

とんねるずとわるふざけ

ちょっと前に観た、とんねるずの番組。

ゴルフ場に穴掘って、タレントを落とす、というだけの企画。

石橋貴明青木功のモノマネ。

落とされるのは、バナナマンおぎやはぎのおぎ、TIM、有吉。そして、出川。



関東のお笑いのピラミッドの頂点には、まだまだとんねるずが君臨するぞ、という構図。

設楽や有吉が、泥まみれになる感じ。いや、壮快。

吉本のタレントが出てこない。画面を関東色に変える。


ただ、これが、単なる悪ふざけであって、全然面白くないと思う人もいるんじゃないか。

関西人には全くウケないのかもしれないとも思う。



でも、これが、とんねるずの作ってきた色。

改めて実感。

贅沢なわるふざけ。

この先、第二のチェッカーズは、第二の宮沢りえは、、、誰になるのだろう。

勇者になりきれない魔法戦士

『戦士=体育会系出身、男らしい、肉食系。難しい相談はできないが、イイ奴。カルチャーには疎いが、スポーツには強い。素手でも戦う。』

『魔法使い=いわゆる、オタク。雑学博士。バーチャル世界の住人。ゲームは得意。大化けするか、ニートか。理論武装。』

『僧侶=優等生。癒し系。草食系。偏差値は高い。高学歴。でも、面白味に欠ける。理論武装。』

『踊り子=ギャル。肉食系。奔放なイメージ。社交的。流されてるようで、芯が強い。結構頼れる。世渡り上手。』

『遊び人=ストリート系。おしゃれ。オープンな性格。教養に欠ける。人気もの。すぐ子どもが出来て結婚するか、一生独り身。』

『賢者=優等生であり、オタク。大学院へ行く。ウィキペディアで検索すると偉い人として紹介されてたりする。素手で戦ったことなど一度もない。』


『勇者=すべての能力が平均的に高い。男として尊敬できるパーソナリティーを持ったもの。誰からも憧れられる人物。ヒーロー。』



ボクは勇者になりたかった。

高校まで、周りには、僧侶だらけ。

一部に魔法使いもいたし、戦士もいたけど、
基本的には僧侶。僧侶の集まり。寺だ。


大学は、遊び人だらけ。一部に魔法使い、強靭な戦士も。
僧侶のなりそこないも多いかな。

自分は、、僧侶のなりそこないかな。寺の落ちこぼれ。
そっから、ちょっとずつ腕力をつけて、少しだけ戦士に近寄っていく。体張ることを覚える。遊び人になりかけるけど、なりきれない。


魔法戦士=元々、オタクだったり、優等生なんだけど、人並みにスポーツもできる。
教養も無くは無い。素手で戦えなくもない。草食系かと言われると、そうでもない。
どっちつかずで能力が中途半端。』



ま、そゆこと。

勇者への道のりはまだまだ続く。。。

玄関開けたら2分で幸せ

よく、ペットを飼っている人が、

「玄関開けたら、ウチの○○が私のところに駆けてきて、
足に飛びついてくるんですよ!それがもう可愛くて可愛くて。。」

なんてことを言う。

生まれてこのかた、金魚とか、カブトムシくらいししか飼ったことが無かった自分にとって、
このペット溺愛感というのは、全く理解できないものだった。

大体こういうのを言うのは、TVタレントとか忙しい人であって、
独身で多忙で、いろんなプレッシャーから唯一解放される自宅に、ペットがいる、それだけのこと、と思っていた。


でも、自分に子どもが出来て、何となくその考えが変わった。


玄関開けたら、「おかぃりぃ」と言ってくれる、息子がいる。


もし、帰宅途中の電車の中で、何か不愉快なことがあったとしても、
もし、仕事場で何かトラブルがあって落ち込んでいても、

この一声を聴くだけで、全く気持ちが変わってしまうだろう。


そして、奥さんもその後ろで、「おかえりなさい」と笑顔で迎えてくれる。


その瞬間があるだけで、どれだけ癒さていれるか、計り知れない。


そんなことを想う、夏の午後。