ボクはキワまで見たくなる性分なんです。

ボクはキワまで見たくなる性分なんです。


キワめたい、というと聞こえがいいが、
キワもの、というと途端にアイロニカルになる。


特に、カルチャーとの関わりについて、
ギリギリまで突き詰めて知りたい、という欲求が強い。


キワまで行って、ギリギリのところで、キック(覚醒)されて戻ってくる。
自らに、固定のカルチャーが、インセプション(洗脳)されないギリギリのところ、
ギリギリのキワまで見にいって、そこから帰ってくる。そこに快感を覚える。


サイヤ人みたいなもの。それこそ、極限からの帰還が糧となる。


生きてかえってきて、初めて戦場カメラマン。昨日、渡部陽一が言ってた。


そういうこと。


アニメ・マンガといった、オタクカルチャーにも一線を越えて染まらないし、
クラブ・ドラッグといった、ストリートカルチャーにも一線を越えて染まらない。


もちろん、ハイカルチャー、芸術・美術・文学・基礎科学、等々、
通常、「教養」というカテゴリーに入るものは、別。これはベーシックなもの。
これを勉強しないで、右に左に右往左往しているヤツは、もってのほか。それは愚の骨頂。


ベースの教養は日々研鑽を積み、その全てを受け入れる姿勢をとった上での、
いわば、娯楽・大衆文化、との関わりかた。


オタクに染まりきって、パソコンの前で引きこもって、現実世界での営みができなくても、
毎晩毎晩クラブに通って、部屋で気づいたら、傍らの女性が死んじゃってて、警察沙汰になっても、全然ダメ。

現実社会との共生はきっちりこなした上で、


経験値と体力と、ある一定の「軸」を心の中に持った上で、キワのキワを垣間見る。

そういう、ピーキーなところから、いわば、心のメーターが、マイナスに振りきったり、プラスに振りきったり、
ハイになったりローになったり、極端に振り切ったところから、


穏やかなリアルな、現実とのバランスを保ったところ、(現実=ゼロ) に戻るときに、
少し相対するベクトルに揺り戻しをうけながら、
それでいて、何事もなかったかのように、振り子の針が中心に戻る。

そして、なにか、以前よりも少し価値観が広くなったような、気に、なる。


映画とか小説とか読んだ後に、ちょっと、ぽわーっとするような感じ。それのもうちょっと長期的なものかな。


この感じがボクの快感原則、カルチャーと自分の戯れ方なのだと。



あ、一つ例外。

演劇、、、に関しては、、、
もし、そのメーターが振り切ったままで、ずーーっと演劇の世界に居ようと思えば、
もっともっともっと無心で努力して、運も最大限味方につければ、、、


その、振り切った、ある意味極まった世界、で生きることも、万に一つ可能だったのかなぁ、と少しの憧れがあるかな。

お芝居の世界には多少足を大股ぎみに突っ込んで、いたので、その残像が、今でも頭の片隅に残ってるというか。



ま、それもこれも、少なくとも、結婚して子供が出来るまで、の話。


自分の守りたい家族が出来たところから、そのメーターと価値観は、
肯定的に崩壊するんだけれども。。


そんなことを有楽町線に揺られながら、ふと、思う。