友人を鏡にして

文献を何十冊も読みこなしたりして、
かつては自分の苦手だった分野にどんどん切り込んでいって、
むしろモノにできたと自負できるようなとき。
何だか一つステップアップしたような気になる。
同じ数字でもその意味や裏側にあるストーリーが読めてきたり、
仕事上のコミュニケーションで今までになかった手応えや確からしさを得られたりすることもある。
主観的な満足感だけでなく、客観的な評価や数字がついてきたりする。
そんなとき、ふと感じる、全能感。奢りや傲慢さ。
少しずつ自分自身の客観視の指標がなくなってくる。

自分は今どう見えているのだろう。
これは正しいのだろうか、浅はかなんだろうか、傲慢なんだろうか。
自信はある。けど不安になる。確認作業を欲する。
そんなときに大事なのは、気のおけない友人との会食や歓談。
友人相手に自分の緩みや浅はかさのチェックをしてみたくなるときがある。
もちろん、会社経営のパートナーである実父や、
人生の伴侶である妻や、
何でも言い合える兄妹との語らいのなかで、
そんなことを確かめることもあるかもしれないけれど、
やっぱり持つべきものは友、だと信じている。

賢くて優秀な友人たちは、きっと、
仮にボクが浅はかで傲慢な仮説や持論を展開したとしても、
頭から否定することはないだろう。
会話の中の言葉の選び方もそうだけれど、
リアクションや表情だけで何となくお互いにわかったりもする。

あ、これは面白がられているな、とか、
あ、これは退屈な話なんだな、とか、
あ、これは少し論拠が浅かったな、とか、
あ、これは本当に斬新なアイディアなのかもしれないな、とか。

当たり前なようで意外と疎かにしがちなこの作業がとても重要で。

お互いがお互いにこんなことを思いながら、
とても前のめりに「最近どう?近々飯でも行こうよ。」なんて誘ったり誘われたり、
面倒でも年賀状を送ったり送られたりするような関係が、
ずっと続くといいななんて真面目に思っている。